秋津レークタウンのスーパー駐車場の焼き鳥店は建築協定違反です。お店の建築・営業に反対しています。
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熊本城築城400年だそうです

(現在の熊本城)
元航空情報科長の佐藤上です。病気でご心配をおかけしています。

お見舞ありがとうございました。 (こんな素敵な色紙もいただきました♪)
(こんなに励ましていただきました)→
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2005年6月退職のごあいさつとお礼
(2005/12/23)
娘たちからの誕生祝い(2006/3/1)
「健康のためなら死んでもよい」とばかりにウォーキングに精を出している姿♪
Sipgate
08704781345
(自宅 IP 電話)

     誰にも私のようなつらい思いはしてほしくない… 世の中から生活習慣病が少しでも減ることを願って
 いきなりくらーいお話で恐縮ですが、人は誰でもいつかは死ぬものです。しかし最近、職場の関係や友人など私の周囲で、病気が原因の若くしてのご不幸が続いています。私自身の年回りとか季節の変わり目、人知を超えたえにしというものもあるのでしょうが… 私とよく似た急性の心臓病の発症で亡くなられた方も数人いらっしゃいます。突然の死亡までに至った経過をお聞きしますと、ひょっとして以下の私の「急性心筋梗塞」体験の拙文をご本人か周りの方が事前に一度でも目を通されていたら、命を落とすまでには至らずに済んだのではないか! と推測できるようなケースもあることに気づきました。私自身も「動脈硬化はもう絶対に直らないので、今後脳梗塞などにならないよう、できるだけこれ以上血管が細くならないように食事面に気をつけるとか運動を続けるなど心がけなさい」と医師から宣告されています。ここに改めてみなさまご自身の健康管理への注意喚起を切に切にお願いする次第です。 (2004/3/27 火の国熊本の自宅にて) つくしんぼみつけました。

 (2004/12/29 自宅にて追記) このところ毎日ウオーキングかプールで 1 時間は体を動かすようにしている。運動をしないと死ぬのではないか…という思いが強い…どうもこれは「(運動)強迫神経症」ではないだろうか。なんでもかんでも一生懸命! というのでなく、もっとゆったりと余裕を持って人生を歩みたいものだが、人間の性分というものはいたしかたのないものなんでしょうね。このホームページを見た友人が言いました。「このホームページ作った人なら心筋梗塞だって起こすわな♪」…だそうです。 (職員の運転免許再取得合格の知らせあり。一安心の 2004 年の瀬)

  2002 年 5 月 26 日 (日) の早朝、私を「急性心筋梗塞」という恐ろしい病魔が襲いました。緊急入院、手術、リハビリ…を経て、6 月 7 日に退院。熊本での自宅療養後、7 月 8 日から職場復帰も果たしてその後の経過もよく元気? な毎日を過ごしています。長期の休暇をいただき、職場にはたいへん迷惑をおかけしました。そしてみなさまにはたくさんのお見舞と励ましをいただきました。元気を一杯分けていただき、感謝の表しようもありません。本当にありがとうございます。 (半年後 2002/12/11 の診察結果について) (鹿児島での 2003/4/22、5/27 の診察結果について) (その後の経過は療養日記に時々書き込んでいます) (誰でも気になる医療費について追加 )

 私の心臓の壁の一部は野球のグローブの革のように死んでいますし、冠状動脈はステンレス製の土管? で補強が施され、もう完全には元のカラダには戻れないですから、当初は前向きの気持にはなれず落ち込みがちでした。でも長女から今回の私の受けたダメージについて「お父さん。タバコを吸わない、お酒が飲めない、クスリが手離せない、激しい運動は苦手…そんな人は世の中にいっぱいいるじゃない。そういう今までとは違う別の人間をこれから体験できるんだからいいじゃない! 」と言われました。ちょっと乱暴かなとも思いますが、この娘の言葉にずいぶん救われた気持で、今ではすっきりと毎日を運動、食生活での意識改革!、そして断煙! (実はこれが一番つらかったりするのですが) …で過ごしています。 (その後の検査 =上記診察結果 では、どうも「グロープの革」ほどひどくはなかったようで、心臓のポンプ能力はかなり回復しているとのことです♪)

 私は小学校の持久走とかはいつも断トツで、中、高校では 1,500m とか 5,000m の長距離選手として県の大会や駅伝を走っていました。いつも出場前の医者の診察で「折り紙つきの強心臓」とまで言われたものです。ですから胃や腸とか頭? のほうならともかく、文字どおり体の心臓部が一番にやられるとは思ってもなく、この「過信」がいけなかったのです。ですから元はと言えば、私の日ごろの健康管理能力の欠如が原因なのですが、特に今回の私の体験を同輩の方々の健康生活面での参考にしていただけたらと思い、ここに恥ずかしながら発症するまでを主にコトの顛末を記しておきます。私自身も今後は血液サラサラにして、二度と心筋梗塞を起こさないようにしなければならないですし、動脈硬化→脳梗塞の予防にも努めなければならないと宣告されています。自分への戒めとしても、いつも今回のことを心に刻み付けておくことにします。

 全然関係ない話ですが、私どもの次女はある実業団、アスリートクラブでマラソンを走っています。メがでなければ早く帰っておいでと言ってあるのですが、選手生活も 4 年目に入り今はまだ一生懸命で親の言うことは聞きません。彼女が病院に見舞に来てくれた時に「お父さん、まだ死んじゃ駄目だよ。私が走っているところをテレビで見て欲しいし…
(*) と言ってくれたのがいじらしく思えてならないです。お父さんはだいじょうぶ、無理はせんけんね♪おまえのほうこそ無理はするなよ…。 (残念ながら娘はその後故障続きで 2004/3/25 をもって走り続けることを諦めました。今は別の道に進むために勉強中ですが、とても元気にしています)

【前兆はあったのに…】
 以前 (40 歳になるころから) 定期健診、人間ドックで悪玉コレステロール値が高い、脂肪肝、中性脂肪、太り気味…との指摘がされており、その度に少し食事に気をつけ、運動をすれば改善する…ということを繰り返していました。特に 2 年前、保安大へ赴任する直前には 5 キロ近くの減量にも成功し、血液検査でも医者がびっくりするくらい改善していました。しかしその後、 2 年も過ぎると、、、

 今年 4 月に入って、17 時過ぎに学校の周りを 5〜10 周 (約 40 分間) 速足でウオーキングを再開しましたが、毎日継続するほどのモチベーションが保てず、一週間坊主で止めてしまいました。このウオーキングをしている間は、歩きはじめにふくらはぎが少し痛くなる程度で心臓もすこぶる快調でした。今思えば、このウオーキングを継続することが最後の復調へのチャンスだったと思います。血液検査の結果からももっと自分で摂生、努力しなければならないのはわかっていたのに、身から出た錆とはいえ一生のチャンスを逸したことは残念でなりません。

  5 月の連休前後、天空橋から学校まで歩いていると学生寮近くまで来た時に少し息切れを感じたことがあります。通勤中の若い男性と並んで歩いて、速さが同じだと少しきついかなぁという感じ。でもまあこの程度なら 50 歳過ぎると仕方ないかなぁと思っていました。しかしそれにしても某 I 校長とか、K 前管制科長は歩くのが速過ぎるというかせっかちなのではないかなぁ…一緒に歩くと、わざと速く歩いて私をいじめているのではないかと感じるほどで、こっちはフゥフゥでついていくのがやっとだったです。こんなことからも自分の運動能力がすごく落ちてきているのを感じていました。

 そのうち、二、三度ですが朝起きた時に軽い胸焼けを感じることがありました。また、階段を上った後などに胃の上のほうで胸焼けがすることがあります。痛いというほどでもないが、ゲップをすると少し楽になるような感じなので胃が荒れているのだと自分で判断し、医務室で胃薬を貰って飲んだくらいです。一度はこれで改善したので、てっきり胸焼けは胃から来ているものと思い込んで、「近いうちに労災病院にでも行ってみよう」と軽くとらえていました。これが後に心筋梗塞の手前の狭心症の兆候だとわかったのですが、まったく後の祭りというものです。 (私は「胸焼け」と感じましたが、人によってこの痛みの部位は背中であったり、訴え方も差し込むような痛さであったり、と様々のようです。最近聞いた友人の例では、全く自覚症状なく、動脈の一本が完全に閉塞していたことが健康診断でわかった…ということさえもあります)

 (追加情報) インターネットでいろいろ調べていると、「こむら返り」 (からすまがり = 熊本) と心臓疾患とは因果関係があるようです。そう言われれば、今年の初めころからでしょうか、夜布団に入って寝付く前に右足ふくらはぎに痛い痛いこむら返りがよく起きていました。私は糖尿病にはなり難い体質らしいのですが、高脂血症、動脈硬化の点からは同様 (糖尿病→神経障害→こむら返り→心臓疾患) の傾向だそうで、食事制限、運動療法などが必要とされています。そのほかにもあまり経験したことのない肩こりとか首筋が張って痛いようなことも同時期によくありました。それと関係ないかもしれないのですが、体のあちこちに虫刺されのような湿疹ができて痒いのです。これは皮膚科に通っていたくらいですが今はだいぶん落ち着いています。 (だんだん博識になって行きます。もう遅いですが…)

 (さらに追加) 最近の研究では、心臓の血管の動脈硬化と歯周病菌との関係が分かったとのことです。 (NHK 「ためしてガッテン」) 一応私の場合はこれが心筋梗塞の原因ではありませんでしたが、歯磨きをおろそかにしても死ぬわけはないなんて言わず、みなさんもマメに歯磨きをするように心がけてくださいね。ついでに…動脈硬化対策としては、「キムチ納豆」が大変良いそうです。同量のキムチと納豆を混ぜるのですが、一晩置けばさらに効果が上がるそうです。私も納豆は元々結構食べているほうだと思うのですが。

【ついに発症】
  5 月 26 日 (日) 朝 4 時ころ横浜の宿舎で就寝中、急に胸苦しくなり目が覚めました。胸焼けが少しきついくらいの状態が 10 分ほど継続して症状がさっと消えました。「今日は胸焼けがきついなぁ」と思いながらタバコを一服二服して (大バカ者! 自殺行為) トイレにも立ち、そんな少し安定した状態で 10 分ほどは経過したでしょうか。起床時と同じくらいのかなりきつい「胸焼け」 = 胸痛が発生し、数分ごとに強弱はあるものの今度はいくら我慢して待っていても収まりません。自分で脈を計ってもそれほど早鐘を打っているほどでもないのですが、いくら鈍感な私とて「これはひょっとすると心筋梗塞というやつではないか、このままだと心臓が停止したり爆発するのでは? 」と思い始めました。 (これも後から得た知識ですが、心筋梗塞は激しい運動をしている時よりもむしろ安静時、就寝時の早朝などに起きることが多いのだそうです)

 どうもこれは胃ではなく、心臓だぞ…と思い始めると一気に不安、表現しようもない死への恐怖感が噴き出してきます。 (これも典型的な狭心症、心筋梗塞の場合に浮かぶ感情だそうです。また、「冷や汗」が出るのが特徴的とも言われますが、私の場合はこの冷や汗は出ませんでした) 体を猫のように丸めて、少しでも胸痛を緩めようとするのですが自分の意思ではどうにもなりません。それでも痛さの強弱が多少変化しますので、少し収まっているときに立ち上がって部屋の片付けをしていました。もしも部屋を散らかしたまま死んでいるのが発見されたら恥ずかしいとでも思ったのでしょうか。そして、妻と娘たちに「4 時 45 分: お父さんは胸が苦しい。部屋と職場の机の中の後片付けをお願いします。みんな仲良く頑張ってな! 」などとわけのわからぬ遺書めいたものをその時刻と一緒に紙切れに書いていたようです。 (後から見せられて本人がびっくりしました。かすかに何かメモをした記憶はあるのですけど)

 いよいよこれは救急車を呼ばなければと思いつつも、まったくこういうことの経験のない者にとっては早朝からあのピーポーピーポーで運ばれるのはどうも恥ずかしいというか気が引けます。ぐずぐずしてはいけないとは思うのですが…そこでまず熊本の家族に電話をしました。「お父さんは胸が苦しくって心臓マヒみたいだから救急車を呼ぶけん。保険証の番号を教えて」!! (どうして救急車を先に呼ばないのか!? 共済組合員証の番号を気にする場合か、バカバカ! ) 妻の「こちらから横浜の 119 番に電話しようか? 」という声を聞いてついにもうひるむことはなくなって、自分で 119 番に電話しました。「心筋梗塞だと思いますので救急車をお願いします。はい私、佐藤本人です」と。それでもしばらく部屋にとどまり、ピーポーが聞こえ出してから下に降りて (3 階) 救急車を迎えました。 (救急隊員のかたがたにも感謝感謝です) 熊本ではその後の私の動静が不明で、部屋で倒れているのではないかとオロオロしていたそうです。

 (追加情報) 最近、私の周辺で急性心筋梗塞で急死されたかたが複数いらっしゃいます。本当にびっくりするくらい私の状況とそっくりです。深夜から早朝にかけて、胸が痛くて苦しくて…「でもまぁ朝まで様子を見ようか」ということで肩とか背中を揉んでもらって、ウトウトとそのまま。本当に朝まで待っていたら冷たくなっていたそうです。奥さまが隣にいらっしゃっても、運命なのでしょうか逝く時は人間逝くのですね。別に私、運命論者ではありませんが、苦しい時は救急車!!これは是非心得ておいて欲しいです。 (外国、特にアメリカでは事情が異なり、救急車を呼ぶと何万円も取られるということから救急車を呼ぶことに躊躇するのが当たり前というなんだかつらい現実もあるようですが、今は恵まれた日本に住んでいることを素直に喜びましょう。救急車を呼んだからと言ってお金を取られることはありません)

【入院から退院まで】
 
宿舎から最も近い済生会横浜市南部病院の救急治療のお世話になりました。 (本当は救急車から無線で要請した最初の病院には断られたのですが、結果的に最も近くで便利な病院に入れました) すぐにカテーテル検査で「急性心筋梗塞」との診断。冠状動脈の一部が詰まり、その先にある心臓細胞の壊死が既に始まっているとのこと…患部の動脈を風船で膨らませて血液の流れを再成させた上で、その部分を金属の管で拡張補強するステント留置という手術を実施されました。幸い私の心臓 = ポンプはダメージを受けながらも忠実に血液を全身に送り出してくれていて、脳の血流が止まることなく意識もはっきりしていましたのでこれらの過程のすべてを医師の詳しい解説付き、X線映像付きで把握できていました。看護婦さんに下腹の毛を剃られるのが恥ずかしかったこと、動脈とか尿道をカテーテルが通るときの気味の悪さ、「危険性もありますが、この手術に同意しますか? 」と聞かれたこと、(まな板の上の鯉ですから断るなんてことは 100% ないのですが) 血流が再成した瞬間に胸痛が完全見事に失せたこと…などが印象に残っています。胸痛の度合いを「10 段階で表現してください」「はい。 6、8、9、7、3、…あっ 0 ゼロです」という感じで消えていきました。

 その後丸二日間は心疾患集中治療室 (CCU) で絶対安静、寝るだけの生活でした。深夜にも何度か目が覚めましたが、(自分勝手な誤解なのでしょうけど! ) 薄暗い中でいつも看護婦さんが心配そうに私の顔を覗いてくれていました。彼女たちも輪番勤務なのですが、その誰もがとても優しく、美人! で本当に私から見ると天使か女神さまのように思えました。(セクハラと言われるかもしれないけど本当にそう思いましたし、手を握り (感謝を表し) たい気持は素直にあるのですがスケベおやじと思われるだけだと、辛うじて理性で抑えました。正しくは彼女たちは看護師という名称です) 救急車も入院も生まれて初めての経験でしたが、完全に病院に命を委ね、任せきった時間を過ごしました。

 病棟の大部屋に移ってからは心臓のリハビリプログラムがすぐ始まり、二週間で順調に退院許可が出るまでに回復していきました。この間はとてもリラックスした毎日を過ごすことができました。同病相憐れむということなのでしょうか、同室の者同士それぞれの病歴から始まって、家庭のこと、仕事のことなどが互いに語られ、みなさん結構人生の先輩ばかりでその人なりの人生訓を垂れたり…まず入院しなければ経験することのできない有意義な時間でした。ともすれば沈みがちな気持になるものですが、看護婦さんとも冗談が出て気を紛らわして貰ったり周りのすべてのみなさんに元気を分けていただいたような気がします。 (*) もちろん職場のみなさんや友人の連日のお見舞はとても嬉しかったし、大いに励みになったのは言うまでもありません。重ねて感謝します。同室の人たち、看護師さんのことなど、少しずつ療養日記に書き連ねておきます。

 (追加情報) ステント留置の手術は、ステンレスの管を血管に入れるのですが、この際血管の内面に小さな傷ができて、自身の治癒能力からこの傷の部分に内膜細胞が増殖して血管内径を縮める…という奇妙なプロセスによって「再狭窄」というやっかいな悩みが残ります。術後半年くらいまでが最も再狭窄を発生しやすく、それを過ぎると少し安心ということになるのですが。ステントを入れた患者の 2〜3 割くらいが再狭窄を起こすと言われています。このような場合、今までは自分の静脈の一部を移植するというバイパス手術をするしかなかったのですが、「サイファーステント」という再狭窄の発生率のきわめて少ない画期的な技術が開発され、最近日本でも使えることになったようです。現在の私は術後の再狭窄は幸い許容範囲に収まったものの、その後少しずつ狭窄が進んでいるかも? …とのコワイ診断が出ています。万一の再手術の場合は迷わずこの新技術をお願いしようと思っています。(2004/12/29 追記 Cypher ステント)

 (さらに追加情報) その後見聞きした情報では「壊死した心臓血管を再生させる」という究極の治療法が開発されているとのことです。現状は私よりももっと症状の重い患者のためのもののようですが、将来的にはお世話になることがあるかもしれません。熊本大学付属病院の川添教授のとりくみの例があります。(2005/8/25 追記 冠血管新生療法 再生医療で心臓回復か)

More Walk, Less Eat, More Sleep!!!  
済生会横浜市南部病院(緊急入院先)
循環器の病気全般について (国立循環器センター)
ここが知りたい!心臓病(小倉記念病院循環器科)
心筋梗塞、狭心症とその治療 心室細動って? (豆知識)
私の退院までの心臓リハビリプログラム
投薬中のおクスリ  私のリアル心臓画像@ A
カチョ気まま療養日記 臨死体験って? (こわ〜いお話)
半年後 2002/12/11 の診察結果について
鹿児島での 2003/4/22、5/27 の 診察結果 について
 心筋梗塞の
 危険因子⇒
 高血圧
 高脂血症
 糖尿病
 肥満
 喫煙
 精神的ストレス
 男性更年期?
 (発症直前の血液検査から)
 GPT 43   γ-GTP 64
 TG 362   T-Cho 275
 HDL-Cho 40
 (2003/9/30 の血液検査から)
 GPT 36   γ-GTP 58
 TG 126   T-Cho 168
 HDL-Cho 54  その後の結果

 【今から考えると…そしてこれからのこと】
 私の場合は、不幸中の幸い…というべきか、心筋梗塞から致命的な心室細動につながる不整脈や心不全などに至らずにやっと生還することができました。が、医師の話では、私の今回の一連の発症から治療の同じプロセスでも死に至るケースもあること。特に最初の発症から治療に入るまでの経過時間が生死を分けるとのこと。部屋の掃除や片付けなどしている場合じゃなかった!! 私も死ぬところだったのだと思うと今更ながらに冷や汗が出てきます。 (特にタバコは喫煙後すぐに血管を収縮させるので絶対にダメ! )

 人によっては冠状動脈の流れが悪くなると、(3 本ある) 別の動脈からの細い血管が伸びてきて? 滞りそうなその先の血流をしぶとく補完してくれることがあるそうで、私の場合は以前からの胸焼けがしている間に少しずつこの血管が生成されたようです。だから完全には血液が停止しなくてよかった…との主治医の説明でした。主人のばかな不摂生な暮らしぶりと比較するとこの心臓のなんと律儀な働きぶりよ! 今後は絶対に大事にしてやるからね…と誓うのでした。

 学食で毎朝のように玉子のぶっかけごはんを食べて (野菜も結構食べていたのですが) 日本酒は大好き、甘いものもあれば常に手を出す。 (食事面では食べる量が多すぎた! ) 運動と言えるような運動はほとんどしない。…あれやこれや…たぶん医者から見ると、こんなことをしていれば心筋梗塞にもなるだろうという生活ぶりだったのだろうと思います。単身赴任がよくないのは当然ですが、それが現実なんだからしかたありません。今後は再発防止のために、『薬の規則的な内服、適度な運動、禁煙! 、食事制限、ストレスをためない』…ことが課せられますけれども、神さま? がいきなりのレッドカードでなくイエローカードにしてくれたのだから、過ぎたことにくよくよせず、娘のアドバイスのように今後はもう一ついただいた人生を楽しむつもりで生きていこうと思っています。バカは死ななきゃ直らない…なんてことにならないように…

病人は自分の弱いところを他人に見られるのはいやなもので、あまり入院中の写真は写さないそうですが 2002/6/7 退院の日の朝…窓側お隣のベッドの S さんに撮っていただきました。  

  【私の主治医のとっておきのジョーク】

 佐藤: 心臓に金属片を入れても拒否反応とかないのでしょうか? 大丈夫ですか?

 医師: クスリを飲んでいるから大丈夫です。死ぬまで保証します!!!!!

 本当にありがとうございました。私もそうでしたが、酒にしてもタバコにしても過ぎたるは及ばざるが如し! 医者が注意しようが誰が何と言おうが、結局は本人が病気になってみなければその怖さはわからないし、やめることは難しいものです。 (今でも私は禁煙パイポとお友だちです!) 一人の心筋梗塞経験者のこの拙文がみなさまご自身の健康について改めて考えてみる機会になれば幸いです。あなたも気をつけてくださいね!!

 (お酒の件を追記)
最近は「焼酎が体によい」などと宣伝されているようですが、決して焼酎が健康飲料だというわけではないのです。「お酒を止められない人は、ウイスキーや日本酒を沢山飲むよりは適量の焼酎にしなさい…」という程度の意味だと思います。どの医師もタバコほどに厳禁とは言わず、「適量ならいい」とのこと。お医者さまとて生身の人間ですので、お酒を全く断つというのはご自分でも無理なことと十分承知されているということなのでしょうか。ではどの程度が適量なのか? 個人差があるのでしょうが、朝起きて昨夜のアルコール分が完全に消えている程度…と解釈して、芋焼酎 3・7 の薄いお湯割りをコップ 3 杯くらいを限度にしています。とはいえ、送別会だの歓迎会だのと飲み会が連続する場合は、とっくに限界を超えて飲んでしまいますが。 (2004/3/28 熊本にてビールを飲みつつ) (2004/12/29 現在は発泡酒の「Diet」というのが好みです) (2005/3/8 現在は新アルコール飲料「SUPER BLUE」が安くてうまい)
 タバコの件で追加…未だに (発症後 5 ヶ月近くなるというのに) 上記禁煙パイポを手離せず、まるで赤ちゃんのおしゃぶりです。もちろん本モノは一切吸っていませんが…心疾患の重症患者の中でも入院中にコソコソと隠れて吸う豪の者もいらっしゃいまして、先生に見つかりそうになったら火の着いたタバコを自分の手の中に握り潰すのだそうです!♪ もうそういう方には医師も気の毒になって無理に禁煙を強いず「あなたの体なんだから…」と。…まあ、滑稽ですが切ないお話ではありましたね。 (2002/10/11 某 K 教頭氏 =スモーカーの送別会を終えて) (2004/11/16 やはりタバコは一度も吸っていませんが禁煙パイポにはまだお世話になっています!)

(普通はこのようなホームページの作成作業はストレスがたまりやすいと言われますが、私は休み休みですしストレス解消! になっています)
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