| 2002 年 8 月 9 日の深夜、熊本で若い女性の運転する乗用車と無免許二人乗りのバイクが交差点で出会いがしらに衝突するという事故が発生しました。アルバイト先から帰宅する途中の同級生の運転するバイクの後にノーヘルで乗っていた女子高校一年生が、頭を強く打って死亡したとのこと…この娘さんはわが家の四女、華子と同じ学校の同級生です。 ちょっと運転に気をつければよかったのに…何故ヘルメットをしていなかったの?…娘を深夜コンビニのアルバイトに行かせるのは親としてどうかな??…など後からいくらでも言えます。 16 年ほどの人生の中でその時、その一瞬ほんの少しだけ油断があったとしても、そのせいで死んでしまったのではどうしようもありません。私の 55 歳という年齢で心筋梗塞を患いながらも生き延びていることと比較すると、なんと短い、はかない人生というか運命の一瞬のいたずらのようなものなのか、彼女には将来どんなにか楽しい人生が待っていただろうに…そして、ここまで育ててきた親御さんの気持なども考えると人の運命の非情を感じざるを得ません。心から哀悼の気持を抱きます。 (合掌) このようなニュースを聞いたこともあって、5 月の私の病気の発症から入院、退院、療養を経験して (今後一生この病気とつきあって生きていくわけですが) 「あれ? オレはあの時、死んでたかも??」というコワイ体験を生まれて今までに何度かしていたことを思い出しました。少し SF (Fantasy) 的お話になりますが、思い出すままここに書き記しておくことにします。 (注意) 私は幼いころから人間や動物の「死」というものに異常なおそれ、畏れ、恐れ、懼れ、怖れ、虞 (これで全部かな) を抱いていました。おそらく七人姉兄弟の末っ子で甘やかされて育った (貧乏でしたから経済的に甘やかされたことは全くなく! 精神的な過保護という意味です) こととか、お寺の墓地で浮浪者が自殺しているのを見たり、夏に芦田川という一級河川の河川敷で溺れた人の人工呼吸をやっている現場を見るなどの怖ろしい幼児体験がその臆病という自分の性格の元になっているのだと思います。また、臆病といえばガキのみんなが近くの廃屋で遊んでいるときに見つけ、難なく触れる無害の小さなヘビは私には気持ち悪くてどうしても触ることができませんでした。(臆病 = 小心者、オソレ、ショートギモ…などいろいろ言い方があります。本人にとって本当は結構複雑な心理状態なのですが、まあまあごく簡単に言えば、夜中にひとりでオシッコに行けないタイプのことです。今でもボットン便所には、特に夜は怖くて行きたくないですね。「オトコのくせに!と言われようが、こればかりはどうしようもないです) あまり楽しいことではありませんし、その人その人の性格にもよりますが、物ごとを何でも深く考え込むタイプの人がこのような解決することのない (生とは、死とは何ぞや? 我は何者ぞ! 私はどこから来たのでしょう? というような哲学的テーマ) 考えに陥ると、精神的に不安定になったり「鬱」の傾向が出るかもしれません。以下はまったくの他愛のないおしゃべりだと思って軽〜く読んでくださるようにお願いしておきます。 |